『育ち』
長男だった僕は、様々な体験をさせてくれる親の影響もあって、とにかく好奇心が強く、興味が湧いてはすぐそれに熱中する癖があった。
その中でも、十代後半に出会った心理学は深く掘り下げて研究した。理解しがたい人の心理をもっと分かりやすく体系化できないものかと、様々な本を読みあさり、後天的な環境が、人格、個性にどのように影響与えたのか知りたくて、僕と関わった人達のこれまでの環境や体験話を熱心にリサーチしたのを覚えている。
僕とって人のルーツを知ることは、個性とは何なのかを教えてくれてある種の安心感をもたらしてくれた。
『経験』
建築の世界に足を入れた僕は、生意気で、何事にも批判的な立場をとることを好んだ。当然、批判も受けるわけで、問題を掘り下げて議論になったりと、なかなか面白い環境だったと思う。それでも成長することもあった。これまでの批判するだけでは飽き足らず、ご丁寧に提案までするようになっていたのだ。超お節介に。どこまで助長するのか自分でもわくわくするくらいに。こうすれば良くなるのに、こうすれば解決するんだよ。こっちのほうがいいんじゃない。なんて風に。提案の根拠は、それまで自分が見てきたものだった。分析しては、なぜ悪いと思うのか、なぜいいと思うのかを考える子供のころからの癖は、自分から溢れる出るクリエティビティの原点だと感じていたからだ。
人は実感したものしか信じない。自分ではとても創造もできない素晴らしい空間や、そのような素敵な環境で仕事する人、生活する人のアグレッシブさに魅了される度、その提案は精度を増していくようだった。議論もするからこそ、次第に収斂され客観性も備わってきたように思う。提案が評価され、そこから生み出されるものが誰かの幸福に繋がれば、僕はとても満足だった。
『変化』
独立後初の仕事、箕面にある古旅館から商業施設へのコンバージョンの仕事だった。 それは国定公園のそばで、真下には川が流れ、秋には紅葉がかさばるような景色を見せる美しい立地だった。30歳になったばかりの僕は、この景観に一瞬にして心を奪われてしまい、突然に飲食店をはじめてしまう。景観以外に何もない場所でのチャレンジだったが、そこでの仕事は人生を満ちたものにするには十分な要素があった。そんな場所でもあいかわらずな性格だったので、接客は難しく、僕は珈琲を美味しく淹れる事に神経を注いだ。無愛想だが人をもてなすのは好きなのだ。最高の珈琲には、豆の鮮度、湯の温度が重要だったりする。粗挽き、中挽き ドリップする湯量等、ストイックに自分の好みを追及した結果かどうかわからないが、リピーター率が増加するにつれ僕の鼻は伸びていくだけだった。
オープンから一年は赤字続きだったが、この環境での仕事は楽しく、いろいろな人との出会いもあり、無愛想な奴だとお叱り受けたり、むしろそこが好きだとか、いろいろなアドバイスをいただきながら、2年目の秋には行列が出来るほどの店になり何とか軌道にのせることができた。
その後、引き込んだ友人にその店を任せ、僕はそこで知り合った方の支援でこの世界に戻るが、そのチャレンジは、環境が仕事に対するモチベーションを上げ、人を繋げる事を実感できた素晴らしいものになった。
環境が人に与える力を体験した僕は、デザインにそれを落とし込むみたいと思った。それは、子供のころから培った癖に光を当が差し込んだ瞬間でもあった。
おかげさまで多忙な毎日だが、僕は今、小さいながらもスパイスの効いた事務所で、最高の音を奏でるスピーカーと、愛する珈琲を飲みながら、クリエイティブな環境が生み出す豊かな未来を信じて、珈琲を一杯一杯丁寧にドリップしていたようにデザインをしている。